彼岸 (watatta)

お彼岸です。

昼と夜の長さが同じ、

太陽が真東から昇り真西に降りる、

陰陽のバランスが良い時期です。


「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、

確かに彼岸ともなれば「季節の変わり目かな?」という気候が

「季節が変わったな」くらいに感じるようになりますね。


空の高さも感じられ、気持ち良い連休です。

今さらながら二十四節季に感心します。


「辛いこともいずれ時期が来れば去っていく」という意味の諺として用いられたりしますね。

ただ、このように時期を表す彼岸という言葉、もともとは場所を表す言葉でした。

彼岸はもともとサンスクリット語のパーラム(仏教語の波羅蜜多)、欲望という激流を渡っ
た彼の岸。ということで彼岸と言います。
(近い言葉に涅槃、消滅を意味するニルヴァーナがありますね)

彼岸の反対は此岸と言います。欲や煩悩にまみれたこちら側の世界です。
サンスクリット語では「サハー」といい、「娑婆」と書き、「しゃば」ということになります。

ですから、場所といっても町名、番地ではなく「あの世」と「この世」という概念です。

話の中や、庭園、絵画、映像などの芸術で表現されることはありますが、なかなか訪れる
ことができる場所ではありません。

でも、訪れることもできなくもない・・・僕は過去河を渡って彼岸へ降り立ったことがあります。

といっても、あの世ではなくてインド、バラナシのガンジス河の向こう岸のことですけど。

インド、バラナシの街はガンジスが流れ聖地として栄えてますが、ガンジスを渡った彼の
岸は何もありません。(僕が渡った朝はロバが居ましたが、あとは…)
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過去数回バラナシに滞在してますが、あの街の喧騒とガンジス河を挟んで何も無い彼岸
とのコントラストを肌で感じると、なんとなく自分の立ち位置がわからなくなってしまうような
感覚にに陥ります。

ヴィシュヌゲストハウスというガンジス沿いの御寺の宿坊に10日~半月ほど沈して、しゃ
ばギリギリの場所で朝から晩までガンジス河とその彼岸を眺める日々。
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賑やかというより、五月蠅くて、ゴミがたくさん落ちていて、いろんな生活臭が漂うゴチャゴ
チャしたバラナシの街、川っぷちの安宿から眺めた大河の向こうは人工物など何も無い
世界。
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「あ~、自分は今シャバのギリギリの場所で息してんだなあ」

って21歳の僕は感じてました(笑)


ですが、ほんとにあのバラナシの喧騒雑多な街(此岸)と浄土(彼岸)をあのスケールで表

わされると圧倒されます。

観念的に彼岸と此岸を考えていたのが、旅という日常の中ではあるけれど、此処がしゃ
ば、あっちが彼岸という世界で生活するのですから。

居るだけで修行、瞑想しちゃいます。

様々なものに塗れて、あまり多くを隠そうとせず、蠢く営み。

あからさまで動的な街と河の向こうの静。

彼岸という言葉を聞くと今でも

あの街とガンジス川、彼岸の対比を思い出すのです。



でも日本人だから、なのでしょうかね?

あそこまであからさまなものにも未だ魅了されますが、このところちょっと静かに枯山水、
盆栽、箱庭的な世界観に落ち着きを感じたりもします。


彼岸明けまであそ3日。

僕は火曜日に墓参りへ行こうと思ってますが、皆さんもお墓には行かなくてもお寺詣りや

庭園に出かけて「彼岸ってなんだろう」ってぼんやり考えてみてはどうでしょう?




・・・なんだか、急に被災地や戦地や原発絡みの世の中のことなど思い出してきちゃいました。

時暑さ寒さも彼岸まで、つらいものは本当に時とともに失せて行くのでしょうか?

AS TIMES GO BY 時が過ぎても変わらない大切なものを残していきたいですね。
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by fuji69fes | 2013-09-23 00:00 | more about ...
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